連載「Basic English誕生の時代背景」(2)
Basic English前夜とも言える1920年代後半は、各地でのちの戦争の火種となる出来事が起こりながらも、一方で、現代への扉を開くような文化的な出来事が次々と開花していました。
Basic English誕生の4年前、1928年に目を向けてみます。
■1928年
誕生まもないソ連は、国内戦と外国からの干渉によって荒廃した経済をたてなおすため、戦時共産主義にかえて、農工業における生産と取引の自由をみとめるネップ(新経済政策)を採用した。この政策によってソビエト経済は急速に回復したが、その成果を飛躍的に高め、社会主義を実現する政策として、1928年から、工業化と農業集団化を柱とする第1次5カ年計画に着手した。以後、市場メカニズムは中央計画にとってかわられ、ソ連の崩壊まで半世紀以上、きびしい国家管理体制がソビエト社会を支配することになる。
1928年4月に蒋介石は北伐を再開し、6月には奉天軍閥の張作霖が支配する北京を陥落させた。張作霖は拠点とする東北に移動する途上、奉天で日本の関東軍に爆殺された。同年末に息子の張学良が国民党に帰順し、国民党の北伐による中国統一が完成した。
アメリカ国務長官ケロッグとフランス外相ブリアンの提唱で、パリ不戦条約が調印された。はじめは15カ国、のちに48カ国がくわわった。正式名称は「戦争放棄に関する条約」で、ケロッグ=ブリアン条約、パリ規約ともよばれる。実効性はなかったが、侵略国家の戦争行為を非合法なものとみなす価値観を定着させ、のち第2次世界大戦後の国際間のルールづくりに貢献することになる。ブリアンは1926年に、ケロッグは29年にノーベル平和賞を受賞した。
イギリスの細菌学者アレクサンダー・フレミングは、この日、ブドウ球菌の培地に偶然混入したアオカビのまわりで細菌が死滅しているのをみつけた。翌年、アオカビがつくりだしている強い抗菌性物質を確認、ペニシリンと名づけて発表した。
この物質の価値に他の科学者が気づいたのはおよそ10年後で、W.H.フローリーとE.W.チェーンによってペニシリンの単独分離が成功し、臨床上の有効性も立証された。世界で最初の抗生物質となったペニシリンは、その後またたく間に、細菌感染症の治療薬として世界中に広まった。
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