小説「ひとこと言うたるわ」(最終回)
そんなある日、浩太の見覚えのある男が訪ねてきた。
「汚いところで、えらいすみません。お茶をどうぞ」涼子がお茶を勧めた。
「いえいえ、とんでもない。あ、ご挨拶が遅れました。わたくし、このようなところから参りました」
彼はテーブルの上に名刺を置いた。
私立陽光学園専務理事
兼 同附属中学校校長
石郷 洋之助
6年前に、陽光学園附属小学校の受験をしたときに、試験官だった石郷だ。だが、涼子は気づいていなかった。あの屈辱の面接室。日々の忙しさの中で、涼子には、それはもう忘れかけたおぼろげな光景になっていた。
「わたくしどもの学園の名前は、おそらく耳にされたことがあると思います。
生徒の才能を伸ばすために、全国一とも言える充実した教育システムと優秀な教師を揃え、各界の著名人にも出身者が多数おります。
パンクスアンダー18でグランプリを獲得した西館浩太君には、最もふさわしい中学校であると自負いたしております。 どうか、我が校への入学を考えていただけないでしょうか? もちろん受験は免除です。浩太君に入学試験など受けていただいてはかえって失礼にあたりますからね」
「あの……」涼子が言いにくそうに口を開いた。
「陽光学園さんの事は、よう存じ上げています。でも、せっかくのお話ですが、今のうちには、入学金や寄付金や授業料は、高うて払われへんのです」
石郷は笑った。
「はっはっは。お母さん、そのようなものを頂くわけがないじゃないですか。諸費用はすべて免除とさせて頂きます。
逆に、3年間、毎月5万円の奨学金を支給させて頂くつもりです。もちろん返済は不要です。
どうでしょう? 考えていただけませんか?」
「えっ? そうなんですか? それはありがたいお話で。浩太、どない思う?」
涼子は、隣の浩太に尋ねた。
浩太は、無表情だった。
「えらいすみませんねえ。まったく、この子は愛想がなくて……」涼子が、取り繕った。
石郷は、浩太に語りかけた。
「西館君。西館君には、入学式の日に新入生総代として挨拶をしてもらいたいんです。パンクスで戦った経験も交えて、これから3年間、勉学へ取り組む抱負を話してもらいたいんですよ。パンクスグランプリ覇者の西館君から直接話を聞けるなんて、これは、新入生にとっても在校生にとっても、そして、わたしたち教師にとっても、忘れられない貴重な機会となります」
浩太は、初めて石郷と目を合わせた。石郷は、入学してもらうためなら今にも札束をテーブルに積み上げかねないような、欲望丸出しの笑顔で、浩太の反応をうかがっていた。
次の瞬間、ふっと、浩太が微笑んだ。
涼子に向き直った。
「お母ちゃん、ぼく、この先生の学校に行きたいわ」
「そうか。お母ちゃんは、浩太がそうしたい言うんなら、大賛成や」
涼子は、石郷に言った。
「そういうことですので、ご厚意に甘えて、入学させていただきます」
「そうですか!それは良かった!」石郷は嬉々として頭を下げた。
それから、慌ただしい日が続いた。陽光学園から、入れ替わり立ち替わり人がやってきた。また、浩太が連れ出されることもあった。
附属中学校のパンフレットやホームページに載せるための写真撮影、コラムに載せるためのインタビューなど、浩太を宣伝材料にするための様々な作業が待っていた。
そんな中、石郷校長が再びやってきた。
「西館君、先日話した、新入生総代の挨拶を原稿用紙に書いてもらえますか? 時間としてはだいたい十五分から二十分くらいです」
石郷は浩太にそう言った。そして、鞄から、大きな巻布を取り出した。外側は、和風の紫と赤の花柄で、至るところに、細かな金糸の刺繍が織り込まれた、立派な巻物だった。
「西館君の書いた原稿を、揮毫家といって、筆で綺麗な字を書けるかたにお願いして、和紙に書き写して貰います。それをこの巻物の内側に貼り付けて、当日はそれを開きながらみんなの前で演説して貰います」
「ぼく、そんな、みんなにお話しするような事、よう思いつかんし、ええ文章も書かれへんです。うまく出来るでしょうか?」浩太が尋ねた。
石郷は微笑んで、
「大丈夫。西館君が書いた原稿を、わたしたち先生方が読んで、おかしなところがあったらちゃんと教えてあげますから」
浩太は、三日かけて原稿を書いた。
石郷から電話があったので、原稿が書けたことを伝えると、早速訪ねてきた。
「これです」
浩太はびっしりと書き込まれた原稿用紙の束を石郷に渡した。
「どれどれ……」石郷は、涼子に進められた煎茶をひと口飲むと、小声で読み上げた。
* * *
『知ることの楽しみ』
西館浩太
ぼくたちはなぜ勉強するのでしょうか?
それは大切なものと、大きな関係があります。
本当に大切なもの、それはなんでしょうか?
みんな、大切な宝物を何か持っていると思います。それが、世界で一番大切だと思っていることでしょう。
しかし実は、ぼくたちが知っている世界はとても小さいのです。
それは、知っていることがまだ少ないからです。ぼくたちの知らないことが、世の中にはたくさんあります。
勉強をすること、それは知らなかったことを、新たに知ることです。
何かを新たに知ると、ぼくたちの世界は少し広くなります。
たくさん知れば知るほど、世界がとても広かったことが分かります。
そうすると、今まで知らなかったところに、いまよりも大切なものが転がっているかも知れません。
すべてのことを知り尽くして、この広い世界のすべてが分かったとき、本当に一番大切なものがわかるのかもしれません。
…………
* * *
しばらくして読み終えた石郷は、顔を上げた。
「素晴らしい。とても中学一年生が書いたものとは思えないです。直すところなど、どこにもありません。さすがに西館君ですね」
「ほんまですか? 浩太が出来るんは数学と物理だけや思うてましたんですけど」涼子が喜んだ。
「いやいや、文章を書く才能も卓越したものをお持ちですよ」石郷が言った。
「お世辞でも嬉しいですわ」と涼子。
浩太はにこにこしながら、二人のやり取りを見ていた。
● 相談
しばらくぶりに浩太が日比野研を訪ねた。教授室で仕事をしていた日比野教授が、こちらに椅子をくるりと回転させ、笑顔で出迎えた。
「しばらくやな。どうやその後? ガヤガヤまわりが騒がしいやろ」
「はい。今まで、うちにお客さんなんか来たこと無かってんけど、今は毎日です」
「まあ、しゃあないわ。それだけ、ど偉い事しでかしてしもたんやから、あきらめるこっちゃ」カカカと日比野教授は笑った。
「西館君」
「はい」
「早よ、大きゅうなりや。阪大に来るんやで。わしは待っとるからな。きみはパンクスのもっと上のクラスで世界を獲ることも夢やない。そしてきみは学問の魅力を知っとる。一流の学者になる素質も充分にある。もし、そういう道を選ぶんやったら、わしはなんぼでも力になるからな」
「はい、ありがとうございます!」
浩太は江田美奈子の部屋を訪れた。
「浩太!冷たいやないか。あれから全然顔見せへんで、うち寂しかったんよ」美奈子は文句を言った。
「へへへ、すみません。もう、それどころや無いんですよ。毎日毎日、ぎょうさん人がやってきて、話をせいやら、写真撮るよ~やら、大騒ぎなんです。お母ちゃんなんか、お茶の葉っぱがすぐ無うなるいうてこぼしてますわ」
「ははは。災難やな。パンクスの日本グランプリなんか獲ったバチが当たったんや。あきらめるしかないわ」
「日比野センセにも、そない言われました」浩太は笑った。
「江田センセ」浩太は真顔に戻った。
「うん?何や?」
「ぼく、私立陽光学園の附属中学に入学することになったんです」
「そうか。超有名校やないか」
「学校のほうから、偉い先生が来て、入れたる言うてくれはったんです」
「そら、よかったな。陽光学園なら勉強するのにええ環境やで」
「それで、お願いがあるんです。入学式の日、学校に来てくれはりませんか」
「うちが? 別に構へんけど何でや」美奈子は答えた。
「ぼく、みんなの前で、話をするんです」
「そらすごいな。晴れ姿やね。それやったら、うちもぜひ見たいわ」美奈子は嬉しそうに言った。
ところが、浩太は真剣な顔になり、両方の拳を握りしめた。顔が紅潮している。
真っ直ぐに美奈子の目を見つめた。
「江田センセ、ぼく迷うてることがあるんです」
● 入学式
陽光学園附属中学校の自慢の広い体育館も、さすがにきょうだけは手狭だった。新入生と在校生が整然と座った周囲を、びっしりと報道陣が埋め尽くしている。浩太が新入生総代として挨拶をすることを知り、詰めかけたのだった。
テレビカメラもたくさん持ち込まれ、床の上は、雑草のようにケーブルだらけだ。
四方の壁は、紅白の縦縞の布が張り巡らされている。
会場右手には、真っ白な布を欠けられた長テーブルが置かれ、胸に紅白の付け飾りを付けた、学園の理事長を始めとする役員や市長などの来賓が座っていた。
後方は父母席で、身なりを整えた、どう見ても裕福そうな大人たちが座っている。
涼子も、もちろん来ていた。一着しか持っていないよそ行きの服を身にまとって来たが、他の父母たちの垢抜けた身なりに気後れして、一番後ろの隅に座っていた。江田美奈子が隣に掛けている。
ステージ左下に、リボンを結ばれたマイクスタンドが立っていた。
司会の教頭がマイクの前に立ち、小さく咳払いをした。それまで、あちこちで起こっていたヒソヒソ話が、一斉に静まりかえった。
「これより、20XX年度、私立陽光学園附属中学校入学式を執り行います。最初に当学園、磯山理事長より皆様にご挨拶を申し上げます」
ステッキを突いた老人が、ゆっくりと登壇し、ステージに掲げられた校旗と日の丸に頭を下げた。
老人は十分ほど話した。
続いて、校長の石郷が登壇し、挨拶をした。新入生を迎え入れる祝いの言葉や、これから三年間ともに歩んでいく心得などを述べたあと、実に晴れ晴れしい表情で、こう結んだ。
「みなさんも、新聞やテレビでもうすでに知っていると思いますが、今年、本校に、あの西館浩太君が入学することになりました。西館君については、もう詳しい説明は必要ないでしょう。小学六年生でありながら、数学と物理学のワールドカップともいえるパンクスで日本グランプリを獲得した優秀な少年です。それも、アンダー18という、高校生を対象とした部門で大偉業を成し遂げた天才です。
わたしは西館君を本校に迎え入れることが出来て誠に嬉しく思います。
このあと、その西館君に、新入生総代として、この壇上で、パンクスを戦った経験なども交えて、これから三年間勉強していく抱負などを述べてもらいます。みなさん、みなさんはこのような機会に恵まれてとても幸運です。このまたとない機会に、ぜひ、西館君の言葉を胸に刻んで、自分の糧として欲しいと思います」
石郷が、堂々とステージから降りるのを待って、教頭が、マイクに向かった。
「20XX年度、新入生総代、西館浩太」
「はい!」最前席にいた浩太が大きな声で返事をし、背筋をピンと伸ばして起立した。きびきびとした動作で、ステージ横に歩み、階段を登った。
真新しい陽光学園の濃紺のブレザーに身を包んでいる。色や形は他の生徒と同じだが、学園側が浩太の寸法を計り、特注であつらえた高級生地のブレザーだった。左胸には、陽光学園の紋章が縫いつけられている。
浩太は右手に長く美しい巻物を持っていた。
「あかん、うちのほうが緊張してきたわ。浩太、うまく喋れるやろか?しくじったら、どないしよ」
隣の美奈子をちらりと見た。涼子は、少し驚いた。美奈子は美しい顔を歪めて、険しい表情をしている。パンクスの決勝の時のようだった。さらに、頬を紅潮させている。
「江田さん、どうかしはったんですか?うちより浩太のことを知ってるほどの江田さんのことやから、やっぱり何か失敗しよるんちゃうかと思うてはるんですか?」
美奈子は返事をしなかった。
浩太は演台の前に立った。広い体育館を埋め尽くす人々。みな、ただ一人、浩太のことを見つめている。浩太は深呼吸をした。
巻物を少し、静かに広げた。淡い木なりの和紙に、美しい楷書体で揮毫家が記した浩太の原稿が書いてある。
「それでは、うまく話せるかどうか自信がありませんが、みなさんにご挨拶させていただきます」
そう言ったあと、浩太は巻紙の冒頭を読んだ。
「知ることの楽しみ。陽光学園附属中学校一年、西館浩太」
様々なところから、カメラのフラッシュが目映く光った。
浩太は、ちらりと石郷を見た。石郷は誇らしげに真剣な報道陣を見渡し、唇の端に笑みを浮かべていた。
浩太は続けた。
「ぼくたちはなぜ勉強するのでしょうか?それは大切なものと、大きな関係があります。
本当に大切なもの、それはなんでしょうか?
みんな、大切な宝物を何か持っていると思います。それが、世界で一番大切だと思っていることでしょう。
しかし実は、ぼくたちが知っている世界はとても小さいのです」
ここで、浩太は巻紙をクルクルと巻き戻し、演台に置いた。皆、「おや?」という顔をした。あちらこちらでひそひそ話が起こった。
浩太は、打って変わって、普段と同じ口調になり、話し始めた。
「ぼくは、小さな家で、お母ちゃんと二人で暮らしています。小さいけど、それはぼくには世界の丸ごとすべてです。そして世界で一番大切なんは、お母ちゃんです。お母ちゃんは、ぼくの、最高の宝もんです」
フラッシュの瞬きが激しくなった。さざ波のように、小さなざわめきが起こり、やがてそれは会場全体に伝播した。
理事席では、顔色を変えた石郷を始め、関係者があわてた様子で耳打ちをし合っている。
「うちには父親がいてません。せやけど、ぼくとお母ちゃんは誰にも負けないくらい、仲良う暮らしてきました。
ぼくがお母ちゃんを宝もんやと思うてるように、お母ちゃんもぼくを大事にしてくれてます。
お母ちゃん、ぼくがまだ小っさいときに、ぼくのために、ええ事をぎょうさん教えてくれはる学校を探して、この陽光学園の附属小学校を見つけてくれました。
まだ小さくて、きちんとは憶えてへんけど、ぼくとお母ちゃんは、幼稚園の時に、陽光学園の小学校を受験しました。ぼくはテストではうまいこといって、ただひとり満点やったそうです。お母ちゃんは、その時、これで大丈夫やろうと思ったそうです。
その後、面接いうもんがありました」
涼子は、ハッとした。視線を石郷に走らせた。あのときの面接官だった男だ!記憶が一気によみがえった。
どよめく報道陣。瞬く無数のフラッシュ。テレビカメラが理事席と演台の両方を、小刻みに首を振り、少年と男たちの様子を映像に納めていく。
石郷が、額に汗を浮かべながら、後ろに控えるひとりの教師に振り返り、小さいが鋭い声で、「今すぐ、マイクを切れ!急げ!」と言った。
その時だった。江田美奈子がパイプ椅子を蹴って立ち上がり、体育館中に響く、良く通る声で叫んだ。
「みなさん!先生ら、西館君のマイクを切ろうとしてますわ!きっと都合の悪いことなんや!」
一斉にカメラが石郷たちに向き、石郷は狼狽した。命じられた教師も、アップで捉えられ、動くに動けなくなった。
浩太が、はるか後方の美奈子を見た。鋭い目で、右の口元に笑みを浮かべている。(センセ、ありがとう!)
浩太は再び話し始めた。
「面接のとき、試験をする偉い先生たちのひとりが、さっき、ここで挨拶しはった石郷先生でした。
石郷先生はお母ちゃんにこないなことを言うたそうです。
『父親のいない家はだめな家や。そんな家の子を学校に入れるわけにはいかん』
ぼくはそれで不合格になりました。テストで満点取っても、父親のおらん家の子は合格できひんのです。
帰り道、お母ちゃん泣いてました。ぼくの、世界で一番大事なお母ちゃんが泣いてたんです。お母ちゃんぼくに、ごめんな、って謝りました。ぼくが落ちたんはお母ちゃんのせいや、言いました。ぼくは、あの時のお母ちゃんの悔し涙、一生忘れられへんです。
お母ちゃん、その後、大きな病気をして体がすっかり弱ってしまいました。せやけど、毎日、辛い体で働いて、ぼくにご飯食べさせてくれてます。
ぼくとお母ちゃんは、世界で一番仲良しです。
それが、なんで『だめな家』や、言われなあかんのですか?」
涼子は、あの時の悔しさが蘇ってきた。浩太がまたうちのために戦ってくれてる。浩太の勇気に、涙が溢れてきた。
浩太は続けた。
「ぼくは公立の小学校に通って勉強しました。普通の公立でも、ええ事を教えてくれはりますよ。
ぼく、こない教わりました。『ひとを色眼鏡で見たらあかん』――難しい言葉で言うたら『偏見』と言うんやそうです。
父親のおれへん家がだめな家や、いうんは偏見です。ぼくはその時、それが分かりました。
学校で、勉強するんはおもろかったです。そして、あそこにいる、江田センセや、そこの研究室の偉いさんの日比野センセが、ぼくに、新しい世界を教えてくれはりました。パンクスのこともセンセたちに、教えてもろたんです。いままで私立の子しかチャンピオンになってへん、いうんも知りました。ぼくは、そのとき、私立を落とされて泣いたお母ちゃんを思い出したんです。
そして、お母ちゃんの代わりに見返したろ、思いました。
それと、お母ちゃん、体悪いのに、きつい仕事してて、ぼくずっと見てて辛かったです。お母ちゃん、ある時、車があったらもっと楽な仕事に就ける、言いました。
うちは貧乏やから、車なんて、よう買われへんです。だけど、パンクスでグランプリを取ると賞金がもらえると聞きました。車を買うにはアンダー18で優勝するしかあれへんかった。無茶な挑戦やった。せやけど、あの江田センセが、ぼくを鍛えてくれはりました。
そのおかげで何とかアンダー18でグランプリを取って、私立の学校を見返したうえに、お母ちゃんに車買うたる事もできました。
お母ちゃんにここまで育ててもろて、初めて、ちょこっとだけ恩返しができて、嬉しかったです。
するとそこへ、あの石郷先生が来たんです。
何や思たら、ぼくを陽光学園の附属中学校に入れてくれはる、言うんです」
浩太は、一息ついた。演台の上の水差しからグラスに水をつぐと、ごくごくと一気に飲み干した。真剣な眼差しで、いま一度、会場を見渡し、また唇を開いた。
「ぼく、訳が分からんようになってしもうたです。前は、入れるわけにいかん、言わはって、今度は、入れてくれる、言わはる。どういうことですか?
何でですか?ぼくはぼくです。どっこも変わってへん。そら貧乏やけど、今も、お母ちゃんと仲良う暮らしてます。
何でですか?
何で、父親のおらんぼくは駄目で、パンクスでグランプリ獲ったぼくはええんですか?
おかしいやないですか。
なんぼ考えても分からへん。理屈に合わへん。
ぼく、パンクスで、ぎょうさん難しい問題にぶち当たりました。一時は、もう完全に駄目や思うたこともありました。
でも、どんな難しい問題も、必ず、ちゃんと理屈に合うた答えがありました。
せやけど、これは分からへん。これは難しい問題とはちゃう。理屈に合わへん問題なんです」
今や、この一大ハプニングと、それによって明らかになったスキャンダルに、マスコミのカメラマンはフラッシュを焚き続け、記者たちは夢中でメモを取っていった。
浩太は、静かにひとつずつボタンを外し、ブレザーを脱いだ。そして、きちんとたたみ、演台の端に置いた。
「ぼくは、きょうでこの学校を退学します。こない訳の分からん問題を出す学校には、怖くておられへんです。近くの公立中学に編入させて貰うつもりです。
長々とつまらん話をしてしもうて、えらいすみませんでした。きょうは、せっかくのみなさんの入学式やのにお騒がせして、ほんまにすみません」
浩太は、たたんだブレザーを手にすると、一歩下がり、深々と頭を下げた。場内が静まりかえった。
パチパチ、と遠くから手を叩く音が聞こえてきた。美奈子だ。美奈子が立って頷きながら手を叩いている。唇を噛んで、涙を流している。
やがて、二人、三人と手を叩くものが現れた。それは、瞬く間に拡がって、会場の生徒たちがみんな拍手し始めた。
体育館内に反響する大拍手の音に包まれながら、浩太は、ステージを降りた。途中、蒼白になって、硬直したままの石郷の席の前に来て、ブレザーを置いた。一礼すると、父母席の後ろの退場口へ向かった。退場口のすぐ側に涼子と美奈子の席がある。涼子はハンドバッグで顔を覆って泣いていた。
「帰ろ、お母ちゃん。仇はとったで」浩太に手を取られて、涼子は引かれるように立ち上がった。
浩太は美奈子を見上げた。
「江田センセ。ありがとうございました。パンクスの時より怖かったです」
美奈子は胸が一杯になり、浩太の小さな頭を胸に抱き寄せた。「がんばったな。よう勇気出した」
抱き寄せられて気づいた。美奈子のブラウスは涙で濡れていた。
きょう初めて、堪えていたものを吐き出すように、浩太は泣き出した。
やがて、鳴りやまない拍手を後に、三人は泣いたまま体育館を後にした。
(了)
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