小説「ひとこと言うたるわ」(13)
予選大会の一週間前に、日比野教授の電話が鳴った。パンクス大会事務局からだ。
「日比野先生の研究室からアンダー18にエントリーされている西館浩太君ですが、履歴書では小学生の研究生となっていますが、これは何かの間違いではないではないですよね?」
「ああ、はい、それはその通りです。小学生ですわ」日比野教授はニヤニヤしながら答えた。
「そうですか。いや協約上はなんの問題もありません。ちょっと驚いて確認のお電話を差し上げただけですので」
「そうですか。お忙しいところ、おおきに」電話を切ったあと、日比野教授はカカカと高笑いした。
* * *
浩太の初陣は、大阪府予選だ。出場選手は約1200人、高校生を主に、中学生も一部エントリーしていた。さすがに、小学生は浩太だけだった。
都道府県予選はパンクス公式ルール第3項に従っておこなわれる。これは、ノー・シード・トーナメントで一般選手を1/4に絞った後、世界ランキング選手 を加えたレギュラー・トーナメントを行い、残った選手が25人になるまで試合が行われるというものだ。一試合は複数セット行われ、先に3セット奪取した選 手が勝ち抜けとなる。
まだ、朝の5時半だ。試合数が多いため、早朝のスタートとなっている。
浩太は世界ランキングを持っていないため、一番下のノー・シード・トーナメントから闘わなくてはならない。
大阪府予選のアンダー18の会場は大阪ドーム。向かい合わせに置かれた二つの机。それぞれ手のひらほどの赤いボタンが机の右に置かれている。解答を出し
たら、このボタンを押す。その一対の机が、ドーム一面に400席ほど並んでいた。その周囲には各チームのスタッフが控えるコーチズ・ボックスがずらりと並
んでいた。
正面の大型スクリーンには、試合の流れや、連絡事項などが逐一表示されるようになっていた。
各選手席には審判がひとりずつ付き、また、答案をチェックするための採点員が30名ほど採点席に控えていた。みな、日本応用数学学会や物理学会の大学助手、助教授や教授たちだ。
ボタンを押した選手の答案は、ただちに採点員席に送られ、採点員のうち3名による採点が行われる。得点が高い方が勝ち上がれる。もし両者とも得点が同じであれば、ボタンを早く押した方が勝ちになる。
日比野研チームは、浩太が出場するアンダー18は江田美奈子と高月助手がコーチズ・ボックスに入ることになった。第二会場同志社大学、第三会場の大阪府立大学の体育館では、アンダー24とアンダー22の試合がおこなわれ、こちらには日比野教授が付き添った。
大阪ドームには浩太の母、西館涼子も来ていた。涼子にとってまったく無縁の世界で、浩太が闘おうとしている。もう、おろおろするばかりだった。コーチズ・ボックスで美奈子の隣に座っていた。
「えらい、ぎょうさんの人らが出場するんですね?」
「そうですね。大阪じゅうの子らが出る地区予選ですから」美奈子が答えた。
「江田さんには、えらい迷惑をかけてしもうて、ほんま申し訳けありませんでした」
「そないなことありませんよ、お母さん。浩太君から聞かれはったと思いますけど、うちの死んだ弟に瓜二つなんです。戻って来てくれたみたいで、むしろ、うちのほうが幸せでした」
「弟さんの事は、お辛かったでしょう。浩太と同じ年の頃の話や聞いて、とても他人事には思われへんです。まったくお気の毒なことでしたね。
実はですね、浩太もえらい喜んでたんです。お姉ちゃんが出来た言うて」
「ほんまですか。それは、うち、すごくうれしいです」
涼子が尋ねた。
「江田さん。正味の話、浩太はどうなんですやろ?最初は中学生の出る試合っちゅうことで、それやって、うちは、浩太にはえらい背伸びや思うてたんです。
ところが、何でか知らんけど、途中から話が変わって、こんどは高校生らが出る試合に切り替えた言うやないですか。それも、浩太の希望で、そうなったんですやろ?なんぼ訳を聞いても話さへん。
浩太なんか、そこらにいくらでもおる小学生の子どもですわ。場違いっちゅうか……はっきり言うて、どう考えても無茶苦茶阿呆な話としか思われへんのですが……。
日比野先生には出場料から交通費まで、えらいお世話になってるやないですか。うちは働いてることもあって、浩太のしつけは行き届いてない所が色々ある思
うてます。せやから、浩太は、みなさんにごっついお世話になったおかげで、ここに立たしてもろてる、いうことが判ってへんと思うんですわ。
ひと様の気持ちになって、迷惑かけんとひとりで生きていかなあかん――これはぜったい教えなあかんです。パンクスの勉強よりもずっと大事なことです。浩太は、人に世話になってるのも気づかんと平気な顔しとる。うちは、それが気がかりでならんのです。
浩太は、ためしにチョロチョロっとやってみたテストが、たまたま上手いこと出来よったから、天狗になってるんと違いますやろか?それやったら、ひと様にもご迷惑かけとることやし、『世の中そんな甘いもんやない!』と、一度、ガツン!言わなあかんと思うてるんですが」
美奈子は、にっこりして答えた。
「すみません。失礼や思うけど、お母さんは、ぎょうさん勘違いしてはりますわ。
一つ目は、浩太君は『そこらにいくらでもおる小学生の子ども』なんかやありません。うちの研究室に来たときに、もうすでに大学の初級レベルの物理と数学の実力を持ってました。うちら、たまげましたよ。
それから二つ目ですが、そこまでの大変な勉強には、普通やったら高い本をぎょうさん買うて読まなあかんのです。でも浩太君は、お母さんにはご迷惑かけん
と、何百回も本屋に通って全部立ち読みで身につけたんです。そんな大変なこと、誰もようせんですよ。ほんま、お母さん思いのええ子や思います。できるだけ
他人に迷惑をかけんように気を配っとるし、世話になったら、必ず感謝して、お礼の言葉も忘れません。これは、お母さんは『行き届いてない』と言わはったけ
ど、お母さんの日頃の注意をよく聞いているからやと思います。前に日比野先生が言うたように、お母さんは立派ですわ」
美奈子は、ひとつひとつ思い出すように、涼子に話した。
「三つ目は、アンダー18に切り替えて出場することになったのは、決して『無茶苦茶阿呆な話』ではありません。そもそも、最初出ようとしとったアンダー15では、日本グランプリ制覇も夢や無かったんです。
そして、この一年間、うちと一緒に勉強してきて、浩太君は確実にレベル・アップしました。切り替えたアンダー18でも世界ランカーを相手に戦える力を充
分身につけてます。見かけは子どもやから、信じられへんのもしかたない思いますわ。でも、浩太君は、ごっついええ頭を持ってるんです。
四つ目ですが、たまたま、ええ点を取ったわけやあれへんのです。もう何十回も、アンダー18の世界レベルの試験をして、どれもほとんど高得点を取ってます。満点も何度もありました。
そして浩太君が有利なのは、始めアンダー15に出るつもりやったから、そのためのトレーニングを集中的にやっていました。アンダー15で一番大事なんは
問題を解くスピードなんです。ものすごい数の問題を時間内に解かなあかんからです。そのおかげで、アンダー18に切り替えても、平均的な選手より、脳が問
題に反応する速さが格段に高いんです。スピードでは世界トップクラスや思うて間違いありませんわ。
五つ目は、浩太君は天狗になっているわけやないです。自分の能力を正確につかんでます。とても冷静なんです。スピードが要求される場面、じっくり考えなあかん場面、それぞれをすぐに察知して、無駄のない対応ができるようになってます」
涼子は、美奈子が話す浩太のイメージが、自分のそれとずいぶん違うのに驚いた。(うちは、ちゃんと浩太のことを見ているつもりやったけど、浩太は知らないところで、成長してたんやろか……)
美奈子の隣の高月助手も微笑んで涼子を見ていた。
いよいよアンダー18の試合が始まる。人数が多いため、始めは数グループに分けて試合が行われる。やがて、浩太の属する第一グループの約400人の選手たちが会場に入ってきた。服の上に、出場者番号の書かれたゼッケンを付けている。
涼子が汗をハンカチで拭いながら、腰を浮かせたり、おろしたり、自分でも何がしたいのか判らなくなっていた。
「どうしよう。始まってまう、何や見てられへんわ。どないしたらええんでしょう?」
美奈子が笑って、
「お母さん、落ち着いてください」
「せやけど、えらい人数や。これでもまだ全員とちゃいますのやろ?おまけにみんな、あないに大きい子ばかりやないですか!あ、浩太や!あかん、ぜんぜん小
さいわ。やっぱり場違いなんとちゃいますか?きっとあっという間に食い物にされるんや。どないしよ。うちに帰ったら、なんて慰めたらええんかわからん
わ……」
浩太が入ってきたのを見て、涼子は完全に狼狽していた。浩太は、泉が原小学校のジャージを着て、ゼッケンを付けていた。ジャージは浩太だけだ。高校生たちと並んで入場してくると、ひとり小さいのがいっそう目立つ。
「お~かあさ~ん。まずは座ってください。大丈夫やから安心してください。食い物にされるどころか、あの子らみんな浩太君の『エサ』なんです」
そう言われて、涼子は取りあえず腰を下ろした。怯えきった目の涼子に、美奈子が、ひと言ひと言、力を込めながら告げた。
「お母さん、うちと浩太君は、武道館へ行って、日本一をぶん取って帰って来たるいう約束したんですよ。正直言うて、こんな場末の地区予選なんか相手にしてへんのです。見とって下さい。だんだんお母さんにも、ほんまの浩太君の才能と力がわかってきますよってに」
浩太の最初の対戦相手は、私立蘭峰高校二年生、戸塚だった。戸塚は、自分の相手を見て思った。
(なんや、子どもやないか。こいつ中学生か。まあ、ウォームアップには格好の相手やな)
浩太は、放たれるのを待ちきれない猟犬のように相手や周囲の選手たちに、鋭い視線を送っていた。(いよいよや。待ってたで。絶対、最後まで残ってみせるで)
開始チャイムが鳴り、体育館じゅうの選手たちが鉛筆を走らせ始めた。内容は45問90分の筆記試験だ。会場は静まりかえった。
満席のギャラリーからも熱い視線が注がれている。
静けさを破ったのは、浩太だった。
開始後73分。浩太がボタンを叩いた。「ポーン♪」電子音が鳴った。
まだ制限時間を20分近く残している。会場中の選手や観客が、驚いて大型スクリーンを見上げた。机の見取り図が表示されていて、38番Aの席がオレンジ色で点滅表示されている。浩太だ。点滅は答案判定中だということを示している。
人々は、スクリーンの示す机に目をやって、そこに小さい子どもが座っているのを見て再び驚いた。
3人の採点員が答案をチェックした。彼らは頷き合った後、代表が採点員ボタンを押した。
「ピンポーン♪」勝者決定の合図を知らせる電子音が鳴った。38番席Aが、点滅から点灯に変わり、相手の38番Bの席に赤い×印がついた。勝者決定だ。表示された得点は100ポイントだった。
また、会場中の選手たちが驚いた。戸塚はまだ終了していない。浩太が先にボタンを押してしかも満点だったから、相手の戸塚の提出を待たずして浩太が第1セットを獲ったのだ。戸塚は、魂の抜けたような顔をしていた。
ただちに二人に新たな問題用紙が配られ、第2セットが始まった。
戸塚は、相手を甘く見ていた自分を反省していた。必死で、問題を解いていった。
「ポーン♪」70分。またしても浩太が終了ボタンを叩いた。
そして採点――。「ピンポーン♪」
やはり満点で、第2セットも浩太が手にした。
戸塚は焦った。引き続き行われた第3セットでは、猛烈にスピードを上げ、再チェック無しで、62分で全問解答を終えるやいなや終了ボタンを叩いた。「ポーン♪」
浩太は遅れること8分後の70分に終了ボタンを押した。戸塚の得点が出た。72点だ。(そんな馬鹿な。八割は出来ているはずだったのに)戸塚は急ぐあまり、答案が汚くて、何題か採点不能扱いになってしまったのだった。
そこへ浩太の結果が出た。またもや満点だ。
――浩太がストレートで戸塚を下した!
浩太は立ち上がって、コーチズ・ボックスに戻ってきた。
戸塚は、呆然としていた。やがて、恥ずかしさに赤面して、筆記具をまとめると立ち上がって去っていった。
「よし!出だしとしてはまずまずや。まさしく『秒殺』やな」当然、という口調で美奈子が言った。浩太は涼しい顔でスポーツドリンクを飲んでいた。
「浩太、どないしたんや?勝手に席を立ってきてええんか?江田さん、どうなったんですの?」涼子が立ち上がって浩太の肩に手をかけ、顔をのぞき込み、美奈子を振り返った。
「勝ったんですよ、お母さん。ちなみにこれでも抑え気味のスピードですわ」美奈子がにこやかに言った。「二回くらい見直したんとちゃう?」浩太を振り返った。
「そうです」浩太が答えた。
浩太は、ノー・シード・トーナメントを全てストレートで勝ち上がり、ノー・シード枠120名の中に入った。ここからレギュラー・トーナメントになり、世界ランキングを持った約40人が参戦してくる。
「浩太」美奈子が言った。
「こっからはレギュラー・トーナメントや。もうリミッター外してもええよ。スピードあげて行こ」
「はい」浩太は微笑んだ。スポーツドリンクをひと口飲み、タオルで汗を拭って、コーチズ・ボックスを後にした。怖くはなかった。初めて世界ランカーと戦うことが、むしろ楽しみだった。
自分がまったく緊張していないことが、奇妙な気持ちだった。
一戦、二戦と浩太は勝ち続けた。ギャラリー席にも、この高校生たちの中にあって小学生が勝ち続けているということが知れて、ざわめきが起こっていた。たびたび「試合中はお静かに」という大きな看板を、事務局委員が提示して歩いた。
ノー・シード組の選手はさすがにランキング選手には勝てず、次々と消えていった。そんな中、浩太は、並みいるランキング陣を向こうにして、次々と「速攻
&満点」の「秒殺劇」を繰り返した。とくに、本気を出した浩太の圧倒的なスピードには世界ランカーたちも歯が立たなかった。
夕方になった。
あと二つ勝てば、20位以内に入り、阪神・近畿・中部ブロック予選への切符が手に入る。美奈子は、勝ち残り選手のリストを見ていた。
「浩太、これ見てみ」
スポーツタオルで顔の汗を拭いながら、浩太が美奈子が示すノート・パソコンの画面を覗いた。
「次に勝つと、浩太は後藤田君と木村君の勝者と当たることになるな」
「そうですね」
「うちの予想では後藤田君が来る、思うわ。この子な、浩太が最初に倒した戸塚君と同じ私立蘭峰高校なんよ。たぶん仕返ししたろ思うて、相当頭に血がのぼってるはずや。世界ランキングも持っていて187位。少々、骨のある相手や。気い抜かれへんよ」
「大丈夫です」
「うちも心配はしてへん。落ち着いてかかれば大丈夫や」
そして浩太は勝った。次がついにラスト・ファイトになった。これに勝てば、大阪府予選通過枠20名に入り、その上の阪神・近畿・中部ブロックへの進出が決まる。 いまやノー・シード組は、浩太を含めて4人までに減っていた。
浩太の相手は、美奈子の予想通り蘭峰高校の後藤田良雄だった。世界ランキング187位、今回の大阪府予選では一、二を争う強豪選手だ。しきりに水を飲みながら、なんどもふーっと息を吐いた。明らかにかなり興奮している。
浩太は歩いていき試合席についた。後藤田も席につき、荒っぽい仕草でシャープ・ペンシルや消しゴムなどを並べた。その手がぶるぶると震えていた。
コーチズ・ボックスでは、高月助手がイライラしていた。
「西館君、嫌な相手と当たってしもうたな。世界ランキング187位の上に、最初に斬って捨てた私立蘭峰高校の選手やないか。勝てるやろか?」
それを聞いて、涼子もうろたえた。
「ええ?世界187位?そんなすごい相手なんですか。そらそうですわね。大阪府の代表になる子たちなんやから。浩太、やっぱりあかんわ。ここで終わるんや。夢だけ見せて、かえって可哀相なことしたかも知れへんな」悲しげな表情になった。
江田美奈子が、にっこり笑ってウーロン茶をカップに注ぎ、高月と涼子に差し出した。
「お母さん、高月センセ、お茶です。これでも飲んで落ち着いてください。浩太は大丈夫ですよ。お母さんも、そんなしょげんと」
「江田ちゃん、よう平気でおるなあ。相手は世界ランキング187位やで」と高月。
美奈子はクスクス笑った。
「高月先生、たしかに、浩太はノン・タイトル大会には出場したことはないから、ランキングは持ってへん。せやけど、大会と同じ問題をずっと試してきたんで
すわ。うちが見たところ、悪くても世界ランキング50位くらいの位置にはおるはずです。姉バカと呼ばれるの覚悟で言うたら、ひょっとして20位以内におる
んとちゃうか、と、うちは思うてます」
「ほんまか?」高月は驚いた。
「そうです。まだ地区大会やないですか。自慢するわけやないけど、うちは世界ランキング8位まで行った江田美奈子ですよ。そのうちが、性根据えて鍛えに鍛えぬいた子や。こないなところで、コケるわけがあれへんわ」美奈子はフフフっと笑って、自分のカップを傾けた。
涼子はそれを聞いても、しきりにハンカチで顔を拭いて、立ったり座ったり、まったく落ち着きがなかった。
後藤田はまさしく敵意むき出しで席についた。浩太を睨み心に決めていた。(このガキだけは許さん。戸塚の汚名はおれがそそいだる。この甘っちょろい小生意気なガキに、国際舞台の厳しさを教えたるわ)
開始チャイムが鳴った。
後藤田は、目にも止まらぬ速さでシャープ・ペンシルで答案を書き殴り始めた。心の内を表すように、ガシガシと書く音がまわりに響いていた。浩太は無表情でサラサラと鉛筆を走らせた。
49分で後藤田がボタンを押した。「ポーン♪」
わずかに遅れて浩太もボタンを押した。「ポーン♪」
電光パネルの浩太と後藤田の席がオレンジ色で点滅した。二人の答案は、採点席に渡された。採点員のうち三人が答案をチェックした。後藤田の答案をはさん
で、三人が何かひそひそ話し、審判に首を横に振った。ミスがあったのだ。電光パネルの点滅表示はそのままだった。得点は87ポイント
後藤田はうろたえた。(そんなはずは……!)
コーチズ・ボックスで美奈子がニヤニヤしながら見ていた。「ほーら。カッカして自滅しよった。見てください、浩太の落ち着いた顔。負けるわけないわ」
浩太の答案の採点はまだ続いていた。後藤田は、汗を額に浮かべ、恐怖の表情浮かべている。(もし、このガキが、おれより高ポイントやったら……)
採点員のうち三人が採点に入った。やがてお互いのものを確認し合った。
ひとりが審判に頷き、スイッチを押した。
「ピンポーン♪」浩太は95ポイントだった。
大型スクリーン上で、浩太がオレンジ表示になり、後藤田は赤い×印になった。第1セットは浩太の勝ちだ。後藤田は歯噛みした。
続く第2セット、解き終えた後藤田と浩太の始動は、またも同時だった。しかし、浩太がわずかに早くボタンを叩いた「ポーン♪」(よし、この試合、もろたで)浩太は思った。
採点結果が出た。二人とも92ポイントだ。早く解答した浩太が第2セットも取り、後藤田は追い詰められた。
二人に問題用紙が配られ、第3セットが始まった。後藤田は目にも止まらぬ速さでシャープ・ペンシルを走らせた。
41分で後藤田がボタンを叩いた。「ポーン♪」
浩太は思った。(この時間は無理や、後藤田さんチェックしてへんな)案の定、後藤田の採点結果が出た。84ポイントだ。低い。
47分で浩太がボタンを叩いた。結果は浩太の得点にかかっている。浩太は自分でも不思議なくらい落ち着いていた。対称的に後藤田は、机に置いた右の拳が細かく震え、動揺を示している。
結果がだ出た。浩太がオレンジの点灯表示。後藤田は赤の×印だ。浩太の得点は95ポイントだった。浩太が、ストレートで後藤田を下した。
「ちくしょうー!」後藤田は叫ぶと右手を机に振り下ろした。バキン!と大きな音が鳴り、握ったシャープ・ペンシルが壊れて飛び散った。
「静かにしてください。他の選手はまだ試合中です」審判が注意した。
コーチズ・ボックスでは、涼子が、美奈子の袖をつかんで揺すりながら尋ねていた。「ど、どうなったんですか?どういうことですの?」
「浩太は、大阪府の代表になったんですわ。大阪のベスト20以内になったということです」美奈子が、嬉しそうに涼子に教えた。
「えー!あないにたくさんおった高校生のお兄ちゃんたちに勝ったんですか?そういうことですか?」涼子はかん高い声で叫んだ。
「お母さん、シーッ。まだ他の子らが試合してるから、静かにせなあきません」美奈子が笑いながらも、口に人差し指を当てて制した。
浩太が帰ってきた。
「ようやった!わかったやろ?相手は世界ランカーや言うても187位。まだ慢心できるレベルとちゃう。再チェックを含めて、60分以上は、かけなあかん実
力なんや。せやけど浩太のものすごいスピードを見てきて、スピードで勝つことだけしか頭になかったんやろ。十分に確認せんと最後は41分でボタンを押し
よった」
浩太は爽やかな笑顔を見せながら、タオルで汗を拭った。
美奈子は言った。
「まずは、きょうはごくろうさん。ゆっくり休むんよ。明日からは気合いを入れ直してトレーニングや。こんなところでぐずぐずしとらんと、武道館に行かな話にならんからな」
「はい!」と浩太。
「浩太……」涼子が声をかけた。「すごいな。お母ちゃん、浩太が毎日何をしてるんか、よう知らんかったわ。お母ちゃん、浩太が眩しいで……」
「あぁ」浩太が言った。「お母ちゃん、また泣きよる。このごろ、すぐ泣くんやから。みんなが見てるとこでは、恥ずかしいから、やめ、言うてるやろ」
「せやけど、浩太…」あふれる涙をハンカチで拭き取って「……出てまうもの、しゃーないやろ。すごいわ。まだ信じられへん。ほんまにお母ちゃんの子どもやろか?」
「阿呆なこと言うてんと、早よ帰ろ」浩太は荷物を片付け始めた。
浩太はアンダー18大阪府予選代表20名のひとりになった。この予選では中学生もかなり参加していていたが、全員敗退。小学生はもちろん浩太ひとりだ。そして皮肉なことに、公立校の生徒は、その小学生の浩太だけだった。
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