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小説「ひとこと言うたるわ」(09)

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「ひとこと言うたるわ」(09)

● PAMCS(パンクス)

 浩太は、毎日学校が終わると、阪大の日比野教授の所に通うようになった。色々な本を借りていっては、夜遅くまで読みふけった。また、わからないところは、日比野教授が優しく教えてくれた。

 木枯しが厳しくなってきた冬のある日、浩太は研究室の学生たちが集まった会議室で初めて紹介された。
「みんなも、よう見かけとったと思うけど、この子、西館浩太君や。こんど小学六年生。せやけど、ごっつい子やで。わしな、西善堂の学術書フロアで初めて見かけたんやけど、そのとき西館君、何しとったと思う?トポロジーの本を読んでたんやで」
 学生たちは驚いた。浩太は恥ずかしくて顔が赤くなった。
「小学生がトポロジーやで。驚くやろ?実はな、わしは、この子を研究生として迎え入れ、みんなと同じようにパンクスに出場さそ思うてるんや。ディヴィジョ ン(種目)は中学生対象ののアンダー15や。だが、何せこれまで独学やったから、知識に偏りがある。それでもトレーニングを積めば、充分日本グランプリを 取れる力があると思うてる。
 うちの研究室は、大学生やから当然、これまでアンダー22とアンダー24に出場してきたわけや。それがアンダー15にも選手を出して好成績をあげたら、世間のひとらは驚くやろ」
(何やろ?パンクスって?)浩太は耳慣れない言葉が気にかかった。
「去年は、うちから日本グランプリ本選組が3人も出て、わしもえらい嬉しかった。世界グランプリでは江田ちゃんがベスト10に食い込んで、見事やった。他の二人もベスト100に入り健闘してくれた。
 その後、江田ちゃんはノン・タイトル大会を通じて世界ランキング8位まで登り詰めたのは知っての通りや。
 せやけど江田ちゃんも引退や。ドクターコースに進むから研究室には残るけど、パンクスの年齢枠を超えるからな」
 日比野教授は江田美奈子を見ながら話した。美奈子は透き通るような白い肌に、黒目がちな眼差しの美人だった。
 美奈子は無表情だった。なぜか、じっと浩太を凝視していた。
「忘れたらあかんで。わしらはパンクスのために研究をやってるわけやない。せやけど、こうやって名前が売れると、研究費もよそからぎょうさん取ってくるこ ともできるし、優秀な学生も集まってくる。その結果、ええ研究ができるようになる。せやからこそ、パンクスに参加することは大事なんや。みんなきつい思う けど、パンクスのトレーニングのために自分の研究テーマをおろそかにしたらあかんで」日比野教授は、学生たちを見渡してそう告げた。
「江田ちゃん」日比野教授が江田美奈子に声をかけた。
「江田ちゃんは、パンクスのベテラン中のベテランや、ドクターコースでこれから忙しゅうなるけど、できれば、西館君のコーチをやって欲しいんやけど、どうやろ?」
「はい。わかりました」美奈子が答えた。学生たちが、ぎょっとした顔で日比野教授と江田美奈子を交互に見た。
「そうか、すまんな。ほな、たぶん西館君は、いま何のこっちゃチンプンカンプンやと思う。江田ちゃん色々説明したってや」
 教授と学生たちは、ガヤガヤと会議室を出て行った。江田美奈子と浩太が残った。

 美奈子は、浩太に手招きした。
「これじゃ、話が遠いわ。西館君、わたしの隣に来てくれへん?」
 浩太は、美奈子の所まで来て、隣の席に着いた。
 美奈子は浩太を見た。冷たい目だった。浩太は縮み上がっていた。
「きみ、コウタくん言うたね?」
「は、はい」
「名前はどう書くん?」
 浩太は、差し出された紙に、ボールペンで「西館浩太」と書いた。美奈子はそれを見て、少し沈黙した。
 何かいけないことをしたのだろうか?浩太の不安はいっそう増した。
 ふっと、我に返ったように美奈子は唇を開いた。抑揚のない口調で、
「西館君、何が何やら、さっぱり判ってへんやろ?」
「はい」
「そら当たり前やね。うちらかて、びっくりしたくらいやから。まず、何から話したらええやろ?」
 浩太は尋ねた。
「パンクスって何ですか?」
「せやね、そもそも、そっから話さなあかんね。パンクス言うんはね――」美奈子は卓の上の白い紙に、いろいろ書いて浩太に見せた。
「パンクスは、こういう風にPAMCSと書くんや。西館君にはわからんやろけど、これはな、ホントはここに書いたように The Physics And Mathematics Contest for Students という英語の名前や。日本語にすると『物理学・数学学生選手権』という意味になる。それやと長いから省略してPAMCSと書くんや。これをパンクスと読む んよ。パンクスは、数学と物理学の競技会や。パンクス日本グランプリは毎年一月に武道館で開かれるんや。日本中の秀才の子らが、厳しい地区予選を勝ち抜い て本選に乗り込んでくる。日本グランプリの上位十名が、パンクス世界グランプリ大会に出場できるんや。
 パンクスには4種類のディヴィジョンがある。アンダー24、アンダー22、アンダー18、アンダー15の四つや。それぞれ年齢制限を示していて、たとえばアンダー24は、24歳以下の人しか出場できんいうことや」
 美奈子は続けた。
「この他に、ノン・タイトル大会というんがある。年に4回開かれる競技会や。これはタイトルには関係のうて、出場者全員が得点を争う競技会や。パンクスには、ランキングというのがあって、その選手が今、世界で何番目に強いかを表す順位がある。
 このランキングは各ディヴィジョンごとに、500位まであって、各国のグランプリ大会とノン・タイトル大会の結果で決められるんや」
 浩太はあっけに取られていた。
「何や知らん、まるでオリンピックですね?」
「そうや。パンクスは数学と物理学のワールドカップや」
「日比野先生がぼくを出場させたい言うてはったのはアンダー15という事ですか」
「そういうことになるね」
 浩太は考え込んだ。テーブルに置いた手を動かして、カリカリと人差し指でテーブルを掻いた。やがて言った。
「ぼく、日比野先生がどう思うたかわからへんけど、そんなとこに出とうないです」
「何でや?」
「ぼく、数学や物理の勉強してるんは、パンクスみたいなところに出場するためやないです。そんな大変なところに出とうありません。ぼくが勉強してるんは、単におもろいからです」

       *  *  *

 美奈子は、浩太を教授室に連れて行った。
「先生、西館君はパンクスに出とうない、言うてます」
「なに?西館君、なんでや?」
 浩太は、美奈子に先ほど告げた事と同じ説明をした。
「そうか。まあ、ええわ。まだ日にちはたっぷりあるから、お母さんとも相談してみるわ」
 日比野教授は美奈子を見た。
「江田ちゃん、車やったな?」
「はい」
「西館君を家まで送って欲しいんや。こんな夜遅くに小学生をひとりで帰すわけにはいかれへんよってに」
「そうですね。わたしがちゃんと送ります」美奈子は終始、無表情だった。

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