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民主主義の残酷さ

 誰が悪いのかは今でもわからない。でも無意味でないことだけは確かだ。
 あれは、小学3年生のときだ。
 ぼくは毎日、クラスの友だちと普通に会話したり、遊んだりしていた。仲が良かった。雰囲気の良いクラスだった。
 ある日、定期的に行っていた、班の組み替えの日が来た。班は6つだ。ひと班が6~7人ずつだった。
 それまでは先生が決めていた。方法は、出席番号順だったり、クジ引きだった。学年も半ば、先生は子どもたちの成長に手応えを感じていたのだと思う。こう言った。
「きょうは班換えの日だけど、先生は今回、全部みんなにまかせる。先生は何も言わないから、学級委員が司会をして話し合いなさい。これからは話し合って、お互いの意見を尊重しながら決めていくことを覚えていくことが必要です」
 二人の学級委員が前に出て、意見を募った。みな、色々な意見を出した。その中で多数決の結果、
「まず、班長6人を立候補や推薦で決めて、班長が順番に班員をひとりずつ選んで、二巡目からは、班長と班員が話し合って、欲しいひとを選んで行くのが良いと思います」という、ひとりの意見が、一番賛成が多かった。方法は決まった。
 自薦・他薦で班長が6人決まり、一巡目、ひとりずつ欲しいひとを指名した。次は、各班長が、獲得した班員と相談し、次の班員を指名した。そうやって、順番に班が決まっていった。だんだん無所属の生徒が少なくなり、気がついたら、4~5人を残すところまで来た。ぼくもその中にいた。どこに入れるのかな? 顔ぶれを見ると、どこの班も楽しくやって行けそうで、楽しみだった。
「うちの班は○○君にします」「うちは○○さんにします」と各班長が最後の指名をした。

  そして、ぼくが残った。

「Yasushi君が残っています。1班はどうですか?」と学級委員。1班はヒソヒソと相談をした後、班長が言った。
「うちはいらないです」
「では、2班はどうですか」同じように相談し、
「うちはいらないです」……
 6人の班長は皆、「いらない」と言った。この頃から先生は動揺した表情を浮かべていたが、最初に「みんなにまかせる」と言った手前、口を出せずにいた。
 学級委員も困っていた。
「Yasushi君が残ってしまいます。どこかの班に入れてあげてください」
 シーンとなった。誰も口を開こうとしなかった。

 ぼくはそこで初めて知った。自分がみんなに嫌われているという事を。
 思い返してみた。そういえば、遊ぶときは、自分は集団の端っこにくっ付いていっているだけだった。談笑するときも、話の輪に自分から割り込んでいく形で加わっていた。実は、みんなぼくを相手にしていなかったんだ。あからさまにのけ者にするのは気が引けるので、仕方なく遊んでくれていたり、話の輪に入れてくれていただけだったんだ。
 ぼくは、実は嫌なヤツだったのだ。クラス中がそう感じていたのだ。
 そう言われれば、ひとの話をさえぎり、自分の言いたいことを言う。ひとの意見は聞かない。自分の考えを押し通す。食い違っても、自分の意見がみんなよりなぜ優れているのか、ちゃんと説明できたから、誰も従わざるを得ない。口で勝ってばかりだった。そんな子どもは、みんなにとって、実に不愉快で、できれば口も聞きたくないヤツだったのだ。
 事実が初めて明るみに出た。それも、一番恥ずかしい形で……。

 そこへ、ひとりが手を挙げていった。
「班を7つに増やして、Yasushi君が7班ということにしたらどうですか」
 すると、教室のあちこちから、「賛成です」「ぼくも賛成です」という声があがった。
 多数決をとった。ほぼ満場一致で決まった。ぼくは7班の班長兼班員ということになった。

 班同士は、机をくっつけて並べることになっていた。みんなが立って机を動かして、それぞれのグループができた。
 スペースの関係で、ぼくの居場所がない。ぼくはひとり、教室の一番前の窓際に机を置くことになった。Desk02

 授業や学級活動は、ほとんどが班単位だ。
 たとえば、理科の昆虫観察では、各班まとまって校庭の草むらに入り、虫を探した。ぼくはひとりで虫眼鏡を持って歩き回っていた。
 道徳の時間、「どうしたら街がきれいになるか」なんていう課題で、大きなポスター用紙にそれぞれ考えをまとめて書く。他の班はワイワイ騒ぎながら、ポスターを作っていた。ぼくはひとりで黙々と7班のポスターを作った。
 発表は、班の全員が黒板の前に出て、ポスターを見せながら班長が説明する。ぼくは当然ひとりで説明した。他の班は、ポスター用紙を二人の班員が両端を持って広げて見せていたが、ぼくはひとりなので、ポスターが丸まってしまい、うまくみんなに見せることができない。しわくちゃになりながら、説明している箇所が見えるように苦労しながら紙を掲げた。
 そんな日々が続いた。算数などは、班員同士が教え合って、全員できたら先生のところへノートを見せに行く。ぼくは自分が書いたら見せに行く。

 ぼくは終始おどけていた。「おれの席は日当たりがいいなあ」「算数はいつもおれが一番先だなあ」……ほんとは泣きたかった。でも、おどけていた。
 事実は仲間外れなのだ。どう見たってはっきりしてる。だけど……だけど、そうではなく、たまたま今回は班が7つになり、7班のなり手がいないから自分がやっている――という状況にしたかった。そう思いたかった。
 泣いたら、自分がのけ者だということを自分で認めたことになる。認めたくなかった。自分が嫌われ者だとは考えたくなかった。だからおどけていた。学校に行きたくなくなったけど、でも行かなかったら、それもまた自分が嫌われ者だと認めたことになる。自分は嫌われ者じゃないんだ、と信じたかった。そうしなければ、毎日の孤独に押しつぶされそうだった。

 およそひと月、その状態が続いたあと、ようやく先生が重い腰を上げた。ホームルームの時間に、クラスは助け合って、まとまっていかないといけないこと。いまのぼくの姿を見て、何か感じないか考えてみて欲しいといこと。そんなことを、懇々と説いた。
 学級委員が司会を務め、再び話し合いが行われた。
「1班から6班のどこかで、Yasushi君を入れてあげられないか話し合ってください」班ごとに、それぞれヒソヒソと話し合いが始まった。ぼくは黙って座っていた。
 やがて学級委員が言った。
「みなさんどうですか?」どの班長も、やっぱり手を挙げようとしなかった。
 その中で、4班の班長が手を挙げた。
「ぼくの班ではYasushi君を入れてあげてもいいということになりました」
「Yasushi君、どうですか? 4班に入ってもいいですか?」学級委員がぼくに尋ねた。みんなの視線が集まった。
 初めて泣いた。
「いいです」
 監獄から出してもらった気持ちだった。泣きながら、机を4班のところに運んでいった。

Desk02_1  かなりハードなショック療法だったけど、ぼくは人間が入れ替わったようになった。人の話をまず先によく聞くようになり、必要なときは率先して人を助けるようになった。逆の立場だったらどんなに辛いかを思い知ったからだ。 また、そう振る舞わなければ再び同じ目に遭うという恐怖もあった。
 ぼくにとっては、ひとの痛みを知るという、とても得難い体験だった。このことは、その後のぼくの人生に、非常に良い影響も与えたし、消えない傷も残した。

 民主主義は残酷な結果を生むことがある。身勝手だったぼくなのか、先読みの甘かった先生なのか、集団になったときに初めて本心をむき出しにしたクラスメートなのか?
 誰が悪いのかは今でもわからない。でも無意味でないことだけは確かだ。

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コメント

おはようございます。

僕は、子どもの頃、あまり楽しい思い出はありません。

運動がダメだったためか、放課も苦痛でした。
それが人間の価値も決めてしまうような錯覚を感じていました。

だから、当時を知っている人は、こうしてフツー?に勤めている事を不思議に感じている人もいるようです(あっ、フツーじゃないかもしれませんね)。

投稿: bjg | 2006.04.08 05:15

子供は怖い。
正直と言うか残酷でもあり曖昧さがない。
わいは親の事情で幼稚園に行ってない。
(手続きの書面に所得欄があり父さま憤慨した)
いきなりの集団生活強烈でしたなあ。
「からかう」ということを知らないわいは
男子のちょっとした言葉にすごく反応して
よく泣かされてた。
でもねえ、子供はしたたかだよう。
わいには不公平に対する義憤なるものがあった。
次第にわいは現状に疑問を感じ出した。
何で女子は男子の言いなり?
わいは逆襲に出た。
何か言われてもスグ泣くのはやめた。
言い返すようになった。
力には防御にも出た。
いつの間にかわいは強くなっていた。
黙ってるとおとなしく見えるんで
クラス替えの時は誤解をよんだが・・・。
そして、わいは暴力女と化した。
Yasushiさん逃げんとってよう!!

投稿: こなつ姉さん | 2006.04.08 14:46

記事を読んで大泣きしてしまいました。Yasushiさんが4班に入れて貰った時の気持ちを思うと、涙が止まりません。また、ひとりの時におどけて見せたYasushiさんの気持ちも、痛いほどよく分かります。
私は子供の頃、小学校、中学校が嫌いだった。給食が全部食べられなかったからです。あの頃は先生がよいと言うまで休み時間まで一人で食べ続けさせられた。それで男子からからかわれることはよくあったけど、相手にしなかった。いじめと思われることもされたことがあったけど、堂々としていたら、そのうちに止んだ。
要は堂々と自分を持つ、ということだと思います。そしてやはり、相手のことを思い遣る、このことは大事です。Yasushiさんは、貴重な経験をされ、そのことを学ばれましたね。今のYasushiさんの思いやり溢れるコメントの数々は、ここが原点なのですね。

投稿: かずな | 2006.04.08 17:47

かずなさんと同じく、私も泣いてしまいました。
私はハブにされたというか、小学校5年のときは、人見知りでクラスに友達ができませんでした。もうクラスメートは仲良しグループができていたので、休み時間は教科書を読むという日々を過ごしていたことを覚えています。

またまたかずなさんと同じくなのですが、給食も残って食べていました。すごく辛かったですね・・・ひとり残って食べるのは。

Yasushiさんが無意味ではなかったと感じておられること、共感します。もし自分がすぐに友達もできる子で、給食も食べるのが速い子だったら、と考えると・・・今の自分はありませんね。自分と同じような辛さを味わっている子に対して、思いやることができなかったと思います。

いろんな経験を通して、今の自分があるということを再確認しました。

投稿: わかくさ | 2006.04.08 20:33

yasushiさん、るりも泣いてしまいました。
るりは今まで平凡に生きてきて、幸せな事にいじめや仲間はずれにもあったことがありません。
だから、yasushiさんのようにいろいろな経験をされた方に比べると、考えも浅いし、思いやりや人の気持ちを理解する力も劣っているのかもしれませんね。
るりはいつもyasushiさんの言葉に支えられています。
yasushiさんに支えられている人はるり以外にもたくさんいますよね。
たくさんの人を支えている、今のyasushiさんを形成したひとつの出来事として、本当に無意味では無かった...そう感じました。

投稿: るり | 2006.04.08 23:48

Yasushiさん……なんだかうまく言葉が出てこないんだけれど……YasushiさんがYasushiさんである理由のひとつを垣間見た気がします。
あとで、またきますね、頭の整理ができたら。

投稿: 大川内 麻里 | 2006.04.09 04:31

恐ろしい現実ですね。
人が集団になったときの怖さを思い知らされます。
一人一人で接したなら、みんな特別悪い人ではないはず。
でもこれが集団となると、信じられないほど冷たい行動が取れる。
集団心理の恐ろしさですね。
でも、そういう目にあって、自分の悪い面に気付くことが出来たというのは、Yasushiさんだったからこそかもしれないですよね。
普通なら、自分を仲間外れにするみんなが悪いんだ!って思ってしまいそうなのに。
Yasushiさんだったからこそ、プラスの経験にすることが出来たんだと思います。

投稿: リハルタ | 2006.04.09 06:43

切なくて・・読んでて泣きそうになったよ。
私も小学校5年生に同じような体験してる。
だれもまともに口聞いてくれなくて・・
その経験がその後の私をすごく変えたと思うの。
ただ人の顔色をいつも気にする子供になったのは
ちょっと悲しい現実だったなって今は思うけど
それぐらいしないとわがままがすぐ顔にでてしまう自分だったんだろうから、ちょうどバランスだったかな。
残酷な体験ってできれば味わいたくないけど。その経験が未来で多くを救ってくれるのかもしれないしね。もちろん子供の時にそんな深いとこまで読めないけど・・。多分、自分が今後生き抜いてく為の必要な試練を各々が持ち合わせてるのかもしれないなって、だからそのことに感謝できる今があるけど。

投稿: rui | 2006.04.09 11:31

>bjgさん

 子どもが知っている世界は、狭いですからね。何かができないと、もう人間的にも駄目なんじゃないかなんて、思いこむことも珍しくないですよね。フォローしてあげるのが、先生なり親なり、近くにいる大人の役目だと思います。

投稿: Yasushi | 2006.04.10 00:15

>こなつ姉さん

 こなつ姉さんらしい!(笑)
 ほんと学校には、矛盾が至る所にゴロゴロしてますよね。
 ぼくは逃げも攻めもせず、自分をまわりに合わせて変えました。
 見方を変えれば、ぼくの生き方は妥協の積み重ねで、そのスタートが、あの時だったのかも知れません。

投稿: Yasushi | 2006.04.10 00:24

>かずなさん

 目の毒だって言ったのに…(笑)
 かずなさんも、逆風の子ども時代だったんですが。でも、その中で、いまの細やかな観察力を身につけていったんですね。
 いま立派にひとり4役こなしているかずなさんのスタートラインも、きっとその頃だったんでしょう。

投稿: Yasushi | 2006.04.10 00:35

>わかくささん

 貴重な経験をされていますね。それが今の優しい、そしてアンテナの敏感な、わかくささんを作ってきたのでしょう。
 悲しいですが、ぼくなんかは、この先どういう道を辿るのか、だいたい判っちゃっています。複数の道があるでしょうけど、せいぜい片手で数えられるくらいのパターンですよ。
 でも、わかくささんには、まだまだ無限の可能性があります。これから、色んな人に出会い、色んな経験もされるはずです。貪欲になって下さいね。今お持ちの高感度アンテナで、どんなチャンスも逃さず、何でも吸収していってください。もっともっと素敵になれますよ!

投稿: Yasushi | 2006.04.10 00:51

>るりさん

 すみません。るりさんは、二つ間違っています。

 ひとつ目。るりさんは考えは浅くないし、思いやりもあるし、ひとの気持ちをきちんと受けとめてあげられるひとです。なぜなら、ブログやメールを通じて、ぼくはその事を良く知っているからです。

 ふたつ目。なにかを経験したことによって初めて身につくという事は確かにあります。ぼくもそうでした。
 しかし、もっと立派なのは、わざわざ経験しなくても、身につけることができるひとです。
 るりさんは、車に轢かれたことはありますか? ないですよね? でも、確かめもせずに道路に飛び出したりしないでしょ? 危ないことがわかっているからです。
 このように経験がなくても、何かを身につけることはできるんです。ただ、道路の危険性くらい判りやすいことは、まともな人なら誰だって身についています。当たり前ですね。
 しかし、もっと判りにくいことについて、経験無しに身につけることができるひとがいます。そういうひとが立派なんです。
 そのために必要なことは色々ありますが、とりわけ大事なのは2つ、物事をちゃんと考えることができること、それと、豊かな感受性や想像力を持っていること。この2つがあれば、必ずしも経験は必要ありません。

 二つの間違い、わかりましたか?

 さて、るりさんは、いじめにも仲間はずれにもあったことがないんですね。
 にもかかわらず、ひとつ目に書いたように、深く考え、思いやりもあり、ひとの気持ちを理解できるんですね。
 という事は、ふたつ目に書いたように、苦い経験をしたことがないのに、それらが身についているということになります。
 すなわち、るりさんは、物事をちゃんと考えることができ、豊かな感受性や想像力を持っているといことを意味しているのです。知らなかったでしょう。まあ、ありがちです。どんな物知りでも、自分のことについては案外、鈍感だったりするものです。
 せっかく与えられた力なのだから、大切にしてくださいね。

 ちなみに、自分のことについても鈍感じゃなくて、色々知りすぎるくらい知っているひともいます。自己観察力です。これも、できれば持っていたいアイテムのひとつです。
 今回コメントを頂いたかたの中では、かずなさんのようなひとが、そういうひとです。

 熱湯に手を入れて初めて熱いという事に気がつくようなぼくには、るりさんも、かずなさんも、うらやましい存在です。

投稿: Yasushi | 2006.04.10 01:32

>麻里さん

 お互いそうですが、人生いろいろですよね。
 「自業自得」ということを、たとえばサラ金地獄のように軌道修正不能なくらいの事態で思い知るのではなく、非常に早い段階で、のけ者くらいの、まあそれなりに軽くもなく重くもない経験で学べたことは、幸運なのかもしれませんね。

投稿: Yasushi | 2006.04.10 01:40

>リハルタさん

 まったくその通り! 人間って、ひとりと集団では、全然違うんですね。ドラマならまだしも、現実にあんな恐ろしいことが起こっちゃうんです。
 先生は、本当は、民主主義が最善の道であるという教科書的な指導をしたかったんだと思います。無難な理想論です。
 ところが、ハプニングの結果、民主主義といえども、使い方次第で、とんでもない事を招く両刃の剣だという、ヒジョーに現実的な事実をぼくに教えてくれました。
 決して皮肉ではなく、ありがたい先生だったと思います。

 また、悪人は必ず制裁を受けるということも、骨の髄まで思い知らされました。
 自分が悪人だったという事はショックですが、気づかずにそのまま大人になるよりは、はるかにマシです。
 まさしく、ぼく専用に用意された、得難い経験だったと思います。
 これまた皮肉はなく、本当にありがたい機会でした。

投稿: Yasushi | 2006.04.10 02:00

>ruiさん

 そうですか。辛かったでしょうね。「ちょうどバランス」とruiさんがいま思われていることは、救いです。
 ruiさんの傷つきやすさや脆さは、裏を返せば、豊かすぎる優しさであり、繊細すぎる感受性なんだと思っています。
 きっと子どもの頃の経験がバックグラウンドにあるんですね。

投稿: Yasushi | 2006.04.10 02:17

私にもあります。そういう経験。
小学5年の時に児童会(懐かしい響き・・・?)で仲間はずれにされました。私が委員長になり、落選した子が副委員長になったのですが、その子が周りの子に私と話をしないように言っていたようです。私は転校生で知り合いがいなかったので孤立無援状態でとても悲しかったのを覚えています。
大学に入って、偶然、その子に会いました。
私は会いたくもなかったし、話もしたくありませんがでしたが、その子は臆することなく話しかけてきました。「久し振り?元気?」たぶん、彼女には傷つけた意識(わたしにとってはいじめだったのですが)がないんですよね。
いまになって思うのは、傷つける人間より、傷つけられた人間のほうが、はるかに人間的に成長できるだろうということ。少なくとも、自分がされていやだったことを人にするような事はしないですよね。彼女はいまや、衆議院議員ですが、そんなことはまったく覚えていないんだろうなぁ・。

投稿: こあら | 2006.04.10 19:59

>こあらさん

コメントありがとう。うれしいです。
こあらさんも辛い目にあったんですね。傷つけた彼女より、傷ついたこあらさんの方が、ずっと人間らしい。こあらさんの暖かさ、優しさの原点はそこにあったのか。
これからもメールさせてください。

投稿: Yasushi | 2006.04.10 22:18

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